© fugo since 2018.9.1 商社第1部 | 大人のためのBL物語

商社 17



  部長が、黒メタリックのモバイルPCをガタッとテーブルに落とした。

 いつも、優雅なマナーの彼が。

 大きな音がしたのにもかかわらず、呆然と俺を見ている。

 やがて、俺を見る黒い瞳に涙がたまっていく。そして、あふれた。

 

 俺は、部長が泣くのを初めて見た。

 大声を出して、俺も泣きたい。

 この人を失うくらいだったら、俺は死んだ方がいい。

 しかし、部長は失ってはいけないものがたくさんある。

 部長は、今や上岡商事の心臓部のひとりだ。彼にしか、保てないノウハウがある。

 

 「本気か・・・?」

 部長はやっと、それだけ言った。

 

 「すみません、よく考えた末です。」

 

 部長は、手元にしばらく視線を落としていた。

 やがて、顔を上げ、大きく息をつくと、言った。

 

 「分かった。君が・・・、熟慮して判断したのなら・・・、理由は聞かない。」

 

 「部長・・・。」

 

 「男女の関係と違って・・・、私たちは、結婚したり、子供がいたり法的・

 社会的には、何も拘束されていないんだ。

 些細なことで、突然壊れても不思議じゃない。」

 

 「部長、俺っ!」

 

 「短い間だったけれど・・・楽しかった。 ありがとう、感謝する。」

 部長の声は、低くはっきりとして、語尾に力があった。

 

 俺は、涙をもう止められなかった。

 

 部長が、次の料理を運んで来た仲居さんに急にクレジットカードを差し出し、

 会計を済ませて去ってしまった後も、俺はしばらく呆然としていた。

 

 どうして、別れるなんて言ってしまったんだろう!

 彼を守るため?!

 部長も、泣いていた。

 大企業の若き部長で、地位も名誉もある彼が、人前で泣くなんて

 よほどのことだ。

 俺は部長に、一生そばにいると言った。生涯部長だけだ、と。

 そう誓って俺たちは、心身ともに結ばれたのに。

 

 別れを切り出した俺を、部長は一言も責めなかった。

 

 「部長!」

 

 翌日、俺は得意先を回ってから、昼前に出社した。

 社のデスクには、親父の形見のネクタイがクリーニングされて、

 置いてあった。

 部長が、朝早く来て置いたのだろう。

 

 社の予定表見ると、入江、欧州出張とある。

 部長は、急遽、出張に行ってしまった。

 いや、予定されていたのか。

 昨日、夕食時に話すつもりだったのか。

 恋人でなくなれば、部長とヒラの関係なんてこんなものだ。

 部長には緊急の出張があるし、ヒラの俺はそこまでスケジュールを

 知らされていない。


 社内予定表を記した、ホワイトボードに、部長の出張予定表が貼られている。

 入江、ドイツ・フランクフルト、ミュンヘン、ハノーファーに出張。

 フライト日時、現地支社での会議予定、ホテル名などが、書かれていた。

 ルフトハンザ航空の便名、成田発AM11:25、帰着は・・・

 

  上岡商事の小さな部門だった家庭用品を、花形部署に押し上げたのは

 彼だ。

  これまで出張で帰国した時は、仕事のほか日常のこと、いろいろな話を

 してくれた。

 

  白熱した討論でアイディアをぶつけ合い、新企画が生まれる欧州支社。

 彼は現地で、新聞数誌を毎日買い、書店に日に3度も足を運ぶ。

 町に出て、エコ先進国のヨーロッパ人の動向、生活を常に鋭い観察力で

 見ている。

 駅前には、空気中のCO2をリアルタイムで表示する電光掲示板がある。

 日曜日は、店がどこも休みで、パンを買えるのは、駅のキオスクだけ・・・。
 

 彼の言葉が、耳の中を遠く近く、こだまする・・・。

 以前の俺なら首を長くして、彼の帰りを待っただろう。

 しかし、それももう許されない。

   

 その時、俺は、社の天井まである高い窓を見上げた。

 窓に映る、流れの速い雲、移りゆく光と影。

 名も知らぬ鳥が、高く舞い上がり、都会の空を飛び立っていく

 

 腕時計を見たら、AM11:35を指していた。

 毎日同じ時間に、離陸するフランクフルト行きの飛行機が、成田を

 飛び立つ時刻だ

 滑走路から飛行機が離陸するように、俺からも大事なすべてが離れていく。 
 

 急に視界がゆがみ、腕時計の文字盤が、涙でにじんだ。                

           大人のためのリーマン日記
 

               『商社』第一部終了         
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        「商社第一部」、終わります。こんな所で終わるのか!?笑